熊本日日新聞コラム「きょうの発言」記事
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「情報」の価値


 また、新しい仕事が始まった。今度はテレビ。これまでペーパーメディアが中心の仕事だったので興味津々。人吉球磨のことは、ローカル局やケーブルテレビを使って情報発信されてきたが、今度は衛星放送を使った全国放送だ。
 「南の国から。どぎゃんですか」というタイトルで本年度、プロではない住民手づくりの番組が放映される。私たちは地元情報誌という立場で情報提供などに参加する予定だ。
 IT社会が進む中、情報発信のための媒体も無限に広がっている。「情報」は、発信側と受ける側があって初めて生きるわけだが、これだけ媒体が多いと受け手側がどの媒体を手段に情報を得ているのか、知るのは難しい。テレビに限らず、インターネットや雑誌、新聞。不特定多数に情報を流すわけで、ターゲットを絞るにしても幅広い。
 情報が発信側の独りよがりになっていないか、自己満足に終わっていないか、時々考える。私がつくっている雑誌も、スタッフが体験取材して思い切り楽しんだ記事が、即部数増につながるとは限らない。
 私は、基本的に自分がつまらないものは、人様もつまらないと思っている。ただ、発信側が走り過ぎても情報はただ右から左へ流れるものになりかねない。
 「本に載っとった。あそこの○○はおいしかった〜」という声を聞くことがある。こういう仕事をしていてうれしいことの一つだ。つまり、こちらから発信した情報が受け手側に伝わったことの確信が持てた時。しかし、こういう実感も全国放送では、難しいかもしれない。
 時々立ち止まり、自己満足に終わっていないか、「それ」は必要とされる「情報」なのか。その意識を忘れてはならない、と肝に銘じている。

(平成15年(2003年)6月5日(木曜日) 熊本日日新聞 夕刊「きょうの発言」 文:有地 永遠子)

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